死んだ後の世界なんて自分にとっちゃどうでもいいのだけれど・・・

戒名料ってホントに必要? 88歳で逝った父に自分で戒名つけてみた (週刊朝日) - Yahoo!ニュース 戒名料ってホントに必要? 88歳で逝った父に自分で戒名つけてみた (週刊朝日) - Yahoo!ニュース 戒名料ってホントに必要? 88歳で逝った父に自分で戒名つけてみた (週刊朝日) - Yahoo!ニュース このエントリーをはてなブックマークに追加

 自分の祖母がなくなった,一昨年の10月。ちょうど,祖父の十七回忌を終えた数日後のことで,風呂場で頭を打った状態で見つかった。90歳になる祖母は一人暮らしで,足も満足に動かない状態だったのにもかかわらず,風呂はしっかり入っている人間だった。どうも,事故でなくなるというのは外聞が悪いのだろうと,死亡証明書は確か病死扱いになっていたと聞いている。

 葬式はなくなった明後日に行われたけれど,ほとんど葬儀会社任せだったと思う。祖父がなくなったときに懇意にしてもらった葬儀屋にすぐ連絡して発見されたその日のうちに段取りが決められていた。祖母が発見されたその日,父は祖母の家に泊まったが,一人で心細いのか自分にいてくれと頼んだ。こういった大人の弱いところを見るのは結構なショックを受ける。

 祖母は熱心な真宗大谷派の信者で,なくなったときそばにあった本は五木寛之の「百寺巡礼」。また檀家としてお坊さんを非常に信頼していて,もちろん葬儀のときもそのお坊さんが来て読経と説法(使い方としてあっているか不明)をしていった。もちろんそのときにお坊さんに法名浄土真宗では戒名と呼ばず法名と呼ぶらしい)を考えてもらって,立派かどうか分からないけれども,「法悦」という法名を授けてもらった。

 父親は,長男として喪主を務めたけれど,正直やりたくなかったに違いないと思う。前の日記で言ったように,自分の家庭は無教会主義のキリスト教徒であって,仏教の作法には詳しくない。もちろんそんなことはあまり関係ないのだろうけれど,それとともに矢面に立たされるのが嫌いな父は葬式中ずっとそわそわしていた。

 葬式が終わったとき,親戚で,といっても祖母の子供とその家族しかいないのだけれど,祖母の家に集まることになった。家をどうするか土地をどうするか,といった現実的な問題を話し合うために。予想していたけれど,いい話し合いにはならなかった。90にもなる祖母を長男である父親がしっかり支えていなかったと言われたり,仲の悪かった祖母と母について色々言われたり。

 正直なところ,伝統的な価値観で言えば祖母の面倒を見るのは長男でありその妻である,というのは常識なんでしょう。自分の両親にとっては表立った反論なんて出来ない。ただ,祖母自体も頑固なとこがあって,うちの家族とは一緒には住もうとはしなかったし,要介護度が高いと判断されたのにもかかわらず,人の世話になるのは嫌だといってホームヘルパーすら呼ばなかった。叔母の一人は立正佼成会の家族で,ともあれば祖母を助けようとしない父や母に対し不審な目で見ていたのは確かなんだろうけれど,こちらも手がつけられなかったと釈明したい。

 ところで,祖母がなくなる2ヶ月前に,祖母は近所の人と大喧嘩をしたらしい。そんな状態でガスなんか使ってたら火事になるし,あんたの家は長屋だから他の家に移ったらまずいよとでも言われたようだ。一人で暮らしていけると自身を持っていた祖母にとって,相当なショックだったみたいで,それからすぐに,ガス会社に連絡してガス自体を切ってしまった。その後ヘルパーさんを呼ばないかという父親の提案に対して,祖母がうなずいたのもこの件があったかららしい。いずれ老人ホームに入ってほしいというのが父の望みで,その提案に対してもそのとき祖母は否定しなかった。このエピソードすらも,葬儀の後の話し合いで父親を責める理由になるようだ。それは長男としての役割の放棄じゃないか,ということらしい。

 祖母の残していったものは,家,土地,墓,そして仏壇という4つ。真宗では仏壇というのは非常に高価なモノで,新聞の折り込みチラシに載るような物でも,1000万円なんてものもある。祖母が持っていたものは200万程度のもので,祖父が死んでから毎日欠かさず線香をあげていた。この仏壇は,何よりも祖母の心の支えになっていたもので,200万だって十分元は取れていると父は笑ったけれど,では残された人間にとってはどれほどの価値があるものだろうか。それはもちろんお墓にしてもそうで,歩けなくなる前まで,祖母は片道2キロの道のりを往復4時間かけて毎日墓参りに行っていたけれど,それが残された人にとってどれほどの価値を持つのだろうか。

 お坊さんが法名を祖母にささげてくれること,それに対してお金を払うことに何の違和感を感じなかった。自分がお金を出してもいいと思えるくらい祖母は宗教に傾倒していたし,お坊さんも非常に自分の家族の事情を分かっていて,色々アドバイスもくれた。

 ただ,それでも,後に残されたものをいつまでも背負っていくことは出来ない。無教会主義の父親に,祖母のために仏壇を引き取れとか,線香をあげろなんて言えるはずもない。ただ,それを一方的な価値観で押し付けてくる圧力みたいなのが,うちの親戚の中にあって,それはもちろん社会の中にもある。

 話がぜんぜんまとまらんけど,人が死ぬと,それを取り巻く人々の価値観が漏れ出して非常に怖い。ただ,うちの家族で唯一よかったのは,財産の相続に関してひとまずもめていないということだろうか。(ただし,土地に関して父親兄弟で共同相続したのは本当に馬鹿だと父親に言ったんだけれどね)